グランドデザインコンテスト

現代住環境

第1章 欧州の住環境

1-2 岩倉具視欧州視察団

02本論からやや逸脱するが、この「欧米に追いつけ追い越せ」論の発端は明治維新直後に発足した明治新政府が欧米先進諸国に5名の使節団を送ったことに由来している。 彼ら一行は、岩倉具視を筆頭に、閣僚・伊藤博文他3名の新政府の要人たちであった。明治政府は、鎖国を解いたばかりの日本は、欧米列強国と互した政治力・経済力・工業力などの総合的国力を付けて列強国への仲間入りを早急に成し遂げなければ彼らに飲み込まれ、属国や植民地にされてしまうと言う危機感を強く抱いていた。 国力を付ける為に先進国から多くを学ぶことが必要であるということから使節団を送った。
彼等5名の岩倉使節団は約2年間の歳月をかけて米、英、仏、ベルギー、独、及び他の先進諸国を訪れ、その国の政治形態、経済・貿易、工業力、警察・治安、銀行・金融、エネルギー源、及びライフラインの構築方法など多くを見聞し、其れを自国にどの様に吸収し役立てようかと日々貪欲に学習し、視察中にもかかわらず、その場で日本国内への導入事案を練っていった。特に、訪問した国がどのようにして現在(訪問当時)の様な政治システム、経済や治安を確立したかその国の歴史などを詳細に調べて回った。そして新しく訪問する国へ入る度毎にどっしりと構えた石造りの威風堂々とした建物や、整然とした家並、街路、そして広い意味での街造りの見事さに驚愕の眼差しで彼等一行はそれらを見聞している。

03話はさらに脇道にそれるが、街路や街全体の整然とした美しさはフランスの首都・パリやベルギーの首都・ブラッセル中心部の広場・グランプラスなどが真っ先に思い浮かべられると思う。
この整然とした街造りは一朝一夕にして出来たものではなく、 欧州のほとんどの国々は道路の造り方、水道の引き方、市街の造り方などをローマ時代から脈々として受け継ぎながら、現在の景観を創り上げ、そして維持・管理してきた歴史がある。
読者の方々も観光旅行などで訪問したことであろうローマ中心部にある遺跡・フォロロマーナを思い起こしていただきたい。ここでは、建物と道路が整然として配置されていて、ただ古い遺跡という価値だけではなく、その美しさで我々観光客を楽しませてくれている。 ローマ時代からさらに時間が遡ったギリシャの都市国家時代では、建物個々の部分部分の美しさを競う個体の美意識が中心であった。しかし、時代が進み、ローマ時代にあってはギリシャからの建築様式や美意識の影響を強く残しながら、それらに加えて、広範囲に亘る総合的な美しさが加わったとされている。 この総合的な街造り、所謂、現代におけるランドスケープデザインや空間デザインの概念に通ずる考え方を初めて導入したのがウィトルウィウス的人体図で有名な「マルクス・ウィトルウィウス・ポリオ」であると言われている。
彼は、建築家であり独自の建築論を構築して紀元前1世紀頃のローマ帝国の初期に活躍し、そしてその建築思想は次第にローマ帝国の勢力圏へ影響を与えだした。 それが永い年月にわたり受け継がれて行き現代欧州各国の美しい街並みの礎となって息づいているのである。

04なお、話を前出の岩倉具視使節団へ戻すと、2年余りを費やした欧米列強国の視察から帰国しその貴重な経験を見聞録に書き上げて明治天皇へ奉っている。この執筆は岩倉具視であった。見聞録とほぼ同じ時期に要人の一人であった伊藤博文が日本国にとって初めてとなる明治憲法の草稿を欧米で得た見聞を基に一人で書き上げた。これがほぼそのままで初めて近代日本の憲法になったのである。
この見聞録には、以後、日本が欧米の列強諸国に吸収・合併されない様にする為の諸施策がふんだんに盛り込まれているが、それが欧米諸国に「追いつき追い越す」ために明治政府の政策上の基本骨子となったのであり、この考え方はつい最近まで国民の共通認識事項として残っていた。この岩倉具視使節団一行の事由は故・司馬遼太郎翁の著書「坂の上の雲」(発行・株式会社文芸春秋)に詳細に書かれているので読まれた方も多いと思われる。

05ここで、話を元に戻そう。現代の個人住宅・戸建住宅は欧風建築が多くなってきたと述べたが、将来ともこの傾向は右肩上がりに増え続けるであろうと著者は予測する。これらの建物に共通することは高断熱化、高気密化されていることであろう。このことは、従来の在来工法の根底にある夏の高温多湿期を快適に生活できる様にように配慮された建物であることと相反する性格を現代風建築は持っていると云えよう。換言すれば、高断熱・高気密ゆえに自然換気に欠ける嫌いがり、それが故にアクティブな冷房機器(エアコンなど)を設備する必然性が生じてきたと言える。

現代風の戸建住宅で快適な住環境を得るには何らかのアクティブな冷暖房設備が必要であり、夏季は電気エネルギーによる、エアコンの助けを借りて室温を快適な湿度と温度まで下げることが普遍的になって来ているし、冬季は暖房機器が必要とされる。そのエネルギーの使い方、熱源などいろいろな方法が考えられるが、それには、暖房設備を単一、または複数を組み合わせて運転することで快適な住環境を得ることが思考されている。 既に述べた在来工法・日本建築時代の暖の採り方は、“暖房器具”の利用の範疇であった。しかしながら、現代の戸建住宅における暖房の考え方は“器具”ではなく“設備”として考えるべきである。それらの設備は耐久消費財であり、建物を建てる際に一緒に設備として組み込み永く使用し続けるべき住宅付帯設備と考えることが必要であろう。ここに自ずと“設備”としての基本的な考え方をしっかりと持たねばならない必然性が生まれてくる。其れは、快適性・安全性・耐用性・保守性、そしてエネルギーの有効活用等をどの順位で優先権を与えて設備導入していくのか、施主はしっかりとした自己の価値観を持って自身の住宅の中にそれらを組み込むべきであると考える。


矢印1-3 イタリア・シシリー島の夏

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